よく理解できていないマーラー

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先日マーラーについての話を書いたが、その後家にあるマーラーのCDを
聴いていて思ったことを書くことにする。

マーラーで最初に聴いたのは巨人でCBSから出ていた
レナード・バーンスタインとニューヨークフィルのものだった。

そのときの印象は深刻な部分と、突然の世俗的音楽が出てきて、その
対比がとても面白く思った。

この組み合わせで日本でコンサートをしたとき、レナード・バーンスタイン
はドイツグラモフォンとの2回目の交響曲全集を作っている最中で
にニューヨークフィルの監督はブレーズが去りメータに変わった頃だった。

やはり長年ともに演奏してきた仲間という感じでバーンスタインも
体を使って大きな表現をしていたし、ニューヨークフィルもそれに応えて
楽しそうに演奏していた。

私はこのときマーラーの「巨人」とショスタコーヴィッチの交響曲第5番
を聴きに行ったのだが、これらは今まで行ったコンサートの中でも一番
楽しめたものだった。


その後、次々とマーラーの交響曲を聴いていったのだが、自分にとって
素直に好きになれた曲と未だに理解できていない曲がある。

好きなものは第1番「巨人」、第3番、第4番、第5番、第6番「悲劇的」、
第7番、第9番

好きな演奏は「巨人」は温かみのあるバーンスタイン、ニューヨークフィル
を取るか、もうすこし抑制を効かせたカルロ・マリア・ジュリーとシカゴ
交響楽団のものの2枚が好きだ。

第3番は今はドイツグラモフォンとのバーンスタイン、ニューヨークフィル
のものしかなく演奏を比較できないのだが、かつてレヴァインのもの
があってそれがとても良かった気がする。

第4番こそマーラー入門にはもってこいなんじゃないかと思う。

第4番はマーラー指揮者じゃないけどジョージ・セルとクリーブランド・
オーケストラの硬い演奏に独唱者が入って明るい雰囲気になっていく
という印象が強い。

もちろんバーンスタインのものも平均点が高い感じで十分に楽しめる。

第5番は、トランペット独唱からはじまってじわじわとないか悪いことが
起こっているかのように不気味な 重々しい感じと、いつもながらの突然
の世俗音楽の対比で音楽の対比が大きいので、これも楽しんでいけて
いるのだろう。

理解できていなくて聴いても十分に楽しめていないのは
第2番「復活」、第8番「一千人の交響曲」、交響曲「大地の歌」

音楽評論などでは復活はわかりやすいとか書いてあるのだが、
私には長すぎて全体を理解できない。

同様に長いのだけど第3番、曲の構成のせいか、合唱部分が
快いのか十分に楽しむことができる。

「一千人の交響曲」と「大地の歌」に関しては妙に東洋を意識した
ような感じで、聴いていばらくすると、楽しむのではなく辛抱して
いるような感じになってしまう。

こういうときは今までと系統の異なる指揮者やオーケストラで
いくつか聴いてみたい。

まずはサイモン・ラトルとリッカルド・シャイーあたりのものを買って聴き比べて
てみようと思う。

しかし、これにはまると時間がかかるぞ~

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