Music

Led Zeppelin

Led Zeppelinを聴いている。

もう40年位、聴き続けていることになる。

当時、熱狂的になっていたバンドは幾つもあるのだが、未だに聴いているのはLed Zeppelinばかりになってしまった。

私が興味を持ちだしたのは移民の歌の頃だから

Ⅲから遡ってⅠ、Ⅱを聴いて、その後、Ⅳ、’Houses Of The Holy’、’Physical Graffiti’ と聴いてきたところで興味を失っていたが、その後もまた聴くようになった。

これって何故だろうと考えてみたのだけど、Zeppelinのアレンジにあるのだと思う。

単純に楽しめるのだけれども、よく聴くと、こんなメロディーもあったとか深さがあるのだ。

これは、ジミー・ページのアフレコやジョン・ポール・ジョーンズの元々のアレンジなどが影響しているのだろうと思う。

Beethoven: Violin Concerto – Kantorow

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カントロフのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲

カントロフの美音を聴くのにいい演奏。

オケも小規模なのが良い。

小規模のオーケストラとムキにならないで演奏すると

こんなに美しくなりました-という感じ。

この録音、当時1990年頃、とても良いと思っていた。

今聴いてもバランスのとれた録音だと思う。

カントロフの細くて繊細な美音が聴ける。

カデンツァのところでテンポをぐっと落とし、音量も控えめにしてと、こんな演奏めったにないよ。

小オーケストラだからカントロフのヴァイオリンはもちろんのこと、ソロの音が非常によく聞こえる。

あまり、ベートーヴェンらしくないけど、このようなひっそりとした演奏があってっもいいと思う。

J.S.Bach: Goldberg Variations – Andras Schiff

Front.jpg今日も気分を鎮静させる音楽としてバッハのピアノ曲を聴く。

ピアノ曲と書いたが正確にはキーボード用の曲で当時はチェンバロで

弾かれていたのだと思う。

シフのバッハは、全体を弱音で弾いていて、弱音の美しさを存分に

たたえている。音がきれいだという点ではグールドをも凌いでいる。

気分鎮静の音楽っていうと明るすぎず暗すぎず、やかましいほど

大きな音は立てず、複雑なリズムで驚かされることもなく、、、、

要するに中庸ということが大事なのだ。

その点で、交響曲はあまり好ましくない。器楽がよいのだろうと思う。バッハは、その点で良いと思われる曲がたくさんある。それ以外に思いつくのは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタとかフランクのヴァイオリン・ソナタ。シューベルトの弦楽5重奏曲-ちょっと重くて暗すぎるか。ペルゴレージのスターバト・マーテルをドラマチックに歌っていないもの。今は、その程度しか思い浮かばない。この続きはノートの方に書いていこう。

Bach Partita : Glenn Gould

partita.jpeg調子が悪いから、少しでも気の休まる音楽を聴こうと思い

思いついたのはグールドのバッハ

初めて聴いた時の印象が強かったのがパルティータ

第1番の出だしが何ともきれいなんだ

ピアノの繊細な音

今でも、気持ちを落ち着かせようと思う時にはよく聴く

録音データを見ると第1番が1959年録音となっている。

グールドは存命中に聴いていて、死亡したのが50歳という若さだったせいか、

何となくまだ最近の人という感じがしていたが、もう、55年前に録音された

ものなのだな。

全てに抑制が効いている。非常に軽やかなタッチなのだが、決して軽薄にな

らない。そこにメロディーが浮かび上がってくる。

音と音が有機的に繋がっているような感じで、結束感がある。

Monteverdi – Vesspro Della Beata Vergine

Schneidt の演奏を聴いている。

このCDを買いに行った時、石丸電気だと思ったけど、選択肢がなかったので
買ったという記憶がある。

当然、演奏家のことは知らず、また、この音楽そのものにも親しみがなかった
ので、これがいい演奏かどうかわからなかった。
今、改めて聴き直しても、いいかどうかわからない。
昨日、寝られなくて、本棚を見ていて、たまたま手にとった宇野功芳氏の本の
中で、一番先頭にこの演奏があったので、聴いてみる気になった。
で、感想はというと、やはりわからない。
合唱だけ聴いていると、それなりにいいなあと思えるのだが、ソロがあると
そこで、静けさがぶち壊される感じがして嫌になる。
バッハのマタイなんかだと、そんな気がしないのだが。
他の演奏も聴いてみるといいのかもしれないが、曲の長さを考えると
ちょっと気が引ける。
でも少しだけと思い、サバールの演奏を聴いてみる。
これが、聴きやすいんだ。伴奏がかなり大きめの音で、ソロがそんなに気合を
入れておらず、いい感じ。サバールらしい落ち着きがあるんだ。
またソプラノとか女性が歌ったほうが、自然な感じがする。男性がやると
高音を出すために気合が入りすぎる感じがする。
この演奏なら、もう一度聴く気がする。
複数の独唱者が歌うところなどヒリアードアンサンブルのような感じで
(どんな感じだ 笑)好感が持てる。

ジンマンのマーラー、交響曲全集

ジンマンマーラーの交響曲全集を買った。

Zinman.jpg

最初に第9番を聴き、それから最初に戻り第1番「巨人」から順に聴いてきた。
これはSACDとのハイブリッドなのだが残念ながら私はSACDプレーヤーを
持っていない。
しかしCDとして聴いても非常に音がよい。
さらにジンマンの演奏が遅めのテンポで細部までよく見渡せるような演奏と
なっている。
マーラーがスコアに示した音楽の構造を掴むのには非常にすぐれた演奏だと
言える。
しかしこの演奏が心に浸み込んでくるかといえば、そうは言い難い。
マーラーの作品は大変長大であり、いろいろな要素を含んでいると思う。
だから個々の指揮者が表現するものはマーラーのある一面に過ぎないの
だと思う。
この演奏からはマーラーの交響曲の構成美を味わうことができるが
その分マーラーの情念的なものは希薄になっている。
マーラーの音楽は奥が深い。

クラシック音楽って

自分に関心のある主な指揮者、ピアニストの誕生年月を調べて

2011年が生誕何年になるのかべて見た。
結果は主な指揮者主なピアニストであるがこれを見て少し
考え込んでしまった。
自分の関心のある演奏家というのはほとんどがもう50歳を越えて
いるのだ。
特に指揮者なんかはもう生誕100年越えの人ばかりで、一体
若い演奏家はどうなっているんだろうと思ってしまった。

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シャイーのマーラー

昨年買ったCDにリッカルド・シャイーによるマーラーの交響曲全集がある。

買ってから何回か聴いているのだがどうも感動が得られない。
その理由を考えているのだが、醒めた演奏ということにあるのだろう。
バーンスタインやバルビローリなら作品への共感をうまく演奏に活かし
その結果が熱演という形で残る。
またカルロ・マリア・ジュリーニならあくまでも上品にメロディーを
演奏することで感動させることができた。
クレンペラーなら曲の構造を浮かび上がらせることに情熱を燃やし
それに感動することができた。

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マーラーとベートーヴェン – ImportCDsへ注文品が届いた

12月の初旬に注文したバーンスタインマーラーの全集(DG)とグルダ
ベートーヴェンのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲の全集がようやく届いた。
これらは Amazon のマーケットプレイス経由で ImportCDs へ注文したもの。
普段なら1週間程度で届くのだろうけど、12月はクリスマス・シーズン
ということでクリスマスまでには届かない可能性がある旨の連絡があったが何と
かクリスマスには間に合った。
マーラーベートーヴェンもどちらも既に部分的に持っていたのだけれど、
ばらばらに集めるよりも全集で買ってしまった方が安上がりになるのだ。
それよりも重要なことは、全集ということでボックスにまとめて入っているので
単売を集めるよりもスペースをとらないということだ。
何だか音楽の話でなくなってしまっているようだが、これらにはそれなりの
思い入れがある。

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2010年はどんな年だった

時間が経つのは速いもので、もう2010年もあと3週間しかない。

クレヨンしんちゃんを見ていたら、しんちゃんがお父さん、お母さん、
自分にとっての今年のベストスリーというのをやっていた。
今年がどんな年だったか、まあいろいろあったが悪いことは抜かして
良かったことだけを思い出してみよう。
まずは今年がマーラー生誕150周年ということで、CD でずっと廃盤に
なっていたものを含め、様々なマーラーの CD が出たということだろう。
私にとってはレヴァインのRCAに入れていたマーラー交響曲集が
ソニーから再発売されたのが大きかった。
またバルビローリ、バーンスタイン、ジュリーニ、ラトル、シャイー等の
マーラーもよく聴いた。
本に関しては1Q84のBOOK3が出たのを機にして1Q84を全部一気に読んだ。
面白かった。そしてんでいなかった村上春樹作品、海辺のカフカやアフターダーク
等をほとんど読んでしまった。比較的最近の走ること について...を読んで
村上春樹という人間の強さをあらためて感じた。作家として特に長編小説を
書くために自分のからだをいかに鍛えているかに感心した。
同じく集中的に読んだのはカート・ヴォネガットの作品。
ソフトウェアに関しては不幸中の幸いというかWindowsが入っていたデスクトップ
が壊れてしまい、しかたなくML115というサーバマシンをメインに使うように
なったことで、メインに使うOSが久々にFedoraになり、Fedora上にWindowsに
負けないように利用環境を構築してきたことによりいろいろなことが改めてわかっ
たことだろう。Adobe Air なんてLinux環境ではじめてありがたさがわかった。
あとはVMwareを捨ててVirtualBoxに乗り換えた等々
とりとめもなく書いたがこんなところかな。